2011年10月24日

続きんもくせい

自転車通勤5日目、うれしい変化が現れた。
タイムは縮まないけれど、帰りの一つ目のなだらかな上り坂を
休まずに登りきることができたのだ。
そのまま公園の前まで頑張ってきて、自転車を降りた。
ハアハア息をきらしながらも「ちょっと体力ついたんじゃない?」と満足感にひたる。
次の目標は難関の心臓破りの坂だ。

うれしくなって翌朝はタイムを縮められるかも、とスタートからガンガンに飛ばしてみた。
表現的には競輪選手のような私を想像するかもしれないけれど、そこはママチャリ(しかも赤)
よく言えば遅刻して急いでる女子大生。普通に言えばタイムバーゲンに遅れまいと
突っ走ってるおばちゃんである。

早朝6時は車もまばらで車道のほうがスイスイ走れる。
しかし原付バイクで車とぶつかったことのある私はきちんと信号を守り、歩道を走る。
車が怖いのである。
テレビでは自転車は歩道を走ってはいけないと言っていたけれど、歩道の真ん中に
白線が引いてあって、自転車マークが描いてあるところもあったりする。
しかし車道と交差しているところは、その度に段差があり、ガタンとくるのでおしりが痛い。
空気が少ないと段差に当たった衝撃でタイヤがパンクしてしまうこともあるので、
やっぱり歩道は自転車が走ることを考えてはいないようだ。

午前6時23分、犬の散歩をしているおじさんを追い越した直後に突然悲劇が訪れた。
まっすぐに行けるはずの歩道に縁石があり、その後ろに行き止まりのように
ポールが立っている。
違うところから向こうへ渡れというのか。

左へハンドルを切って縁石の切れ目から車道を横切る。
乗り上げた歩道もまた同じような縁石によってまっすぐな道にはなっていない。
すばやく右にハンドルを切ったが、スピードを出していたことが災いして
「アッ」という間に想像通りの結果となった。

縁石のおかげで鋭いヘアピンカーブのようになった歩道を
左から右へ瞬時にハンドルを操るテクニックはない。

ガン、ズボッと自転車のフレームが縁石に当たる音と同時に自分が植え込みに
突っ込む音がした。
自動車販売店の入り口、大きな看板の足元には膝丈くらいの植え込みの中に
看板を照らすスポットライトが埋め込まれている。
「ライトさんこんにちは」と言いたくなるほど顔のまじかにそれがあった。

すばやく立ち上がり、自転車を起こす。
チラッと後ろを振り返る。
さっき追い越したおじさんと犬がこちらを見ていたけれど
私からは表情は見えなかった。
良かった、近くなくて・・・。

何事もなかったかのように自転車に乗り、また元気にペダルを漕ぐ。

膝が痛む・・・。

朝からついてないな・・・。

深いため息をつく。

しかし、通りがかった朝市で救いの天使がほほえんだ。
60㎝くらいの小さなきんもくせいの苗木。
まるで私と出会うためにそこにいるかのような愛らしさだ。

「たんぽぽにもきんもくせいを植えたい」という願いはあっさりと叶った。
「悲しいことやがっかりするようなことがあるから、うれしいことや楽しいことの
輝きが増すんだよね!」と
たいした悲しみでもない出来事の代わりにもらった喜びで
一日中気分が良かった。

私の単純さは長所かもしれない。











  

Posted by ながた岬 at 00:58Comments(0)TrackBack(0)ながた岬

2011年10月14日

きんもくせい

何でも思い立ったらすぐ実行するのは「行動力がある」という自分の長所として捉えている。
しかし三日坊主どころか一日坊主も多く、すぐには人に言えない。

少し前に、運動不足解消のための自転車通勤を思いついた。
開始して一週間は続いているから、もう人に話してもいいよね。

朝、自宅から職場(つどいの家たんぽぽ)へは20分。
自転車を漕ぎはじめてすぐに急な下り坂。風をいっぱいに感じながら元気に下りて行く。
その後少し平坦で、二つ目のなだらかな下り坂に続く。
「こんなに親切にしてもらっちゃって悪いわねー」という感じ。

ところが、帰りはここが心臓破りの坂となってペダルが回せない。
「朝は親切なのに、夜はつめたいね・・・」という感じ。帰りは30分かかる。

いつもイオンの前をまっすぐ東に行き、ミスドの手前の細い道を北へ抜ける。

この道で20時頃、手をつないで歩いている老夫婦に二度出会った。
柄のカーディガンにスカートをはいたおばあさんと白髪でメガネのおじいさん。
最初は「仲がいいなー」と思ったが、二度目はおじいさんがおばあさんの手をひいて
歩かせているように見えた。
無言でただひたすら歩いている夫婦。
「おばあさんを介護しているおじいさん」という想像は職業病か。

二人が信号を渡り切ったのをぼんやり見てから、また自転車を走らせた。

西側は山を切り開いた傾斜に家が建っており、歩く人の目線より上に庭がある。
月明かりに空を見上げると、月に寄り添うように光っている星がひとつ。
その時フッと甘い香りが鼻をかすめた。
「きんもくせい・・・?」
両足のつま先を歩道に着けて自転車をとめる。

民家の庭からフェンスを越えて木の枝が伸びていた。
花も葉っぱもよく見えないのにそれがきんもくせいであることが分かる。
その甘い香りが私の髪や頬にやさしく触れている。
「いいにおい・・・」
月あかりと星のまたたき、きんもくせいの香りに包まれて、
穏やかに何かを感じることができる幸福感に満たされていた。
また明日もこの下を通ることができる。
うれしくなった。

「たんぽぽにもきんもくせいを植えたい!」  

Posted by ながた岬 at 22:22Comments(2)TrackBack(0)ながた岬

2011年10月10日

近況報告

最後のブログから3年半。
あっという間に時間が過ぎていく。
今まで生きてきた中で一番忙しく、一番よく働いた。

ご無沙汰している方々には「死んでしまったのではないか」と思われたかも
しれない。

やりたい事が多すぎて体が一つでは足りないし、一日が24時間しかないと
毎日宿題ができてしまい、ブログに向かう時間もエネルギーも残っては
いなかった。 

今やっとゆっくり眠り、書くことができるようになりました。

気が向いたらのぞいてみて下さい。

今後ともどうぞよろしくお願いします。



 

  

Posted by ながた岬 at 21:28Comments(1)TrackBack(0)ながた岬

2008年03月09日

らーめん (みそ)

   <つづき>

机の上に並べられたもの。
ガム、キャラメル、消しゴム、ボールペン、100円ライター。
隣にも、友達が袋の中から出したチョコレートや髪どめなどがある。
整然と並べられたそれらは、スチール机の上でさらし者にされた罪人のようであった。

「ライターなんかどうするんだ」と警官が怖そうな声で聞く。
「なにも・・・考えてなかった・・・です」とドギマギ答える。

自分の名前、親の名前、連絡先を紙に書かされる。
うちに電話はないから連絡先は書かないが、父の名前は違う漢字を使った。
この犯罪歴に名前が載ることは、父の汚名になると思ったからだ。
こんな時にそんなことを考えている子どもは私くらいだろうか?

友達の親も仕事に出ていて連絡がつかない。
終点である私の集落へ向かう最終バスが、18時09分に通り過ぎた。
既に話しは終わっているのに、親に連絡がつかないため何時間も留置されている。
真っ暗になった窓の外は何も見えない。
このままずっとこの空間に閉じ込められてしまうのではないかという不安感があった。

「もうこんな時間だ、おなかすいてるよね。昼からずっとだったからね」
そう言うと警官は事務所の奥へ入って行った。
私はこの時、よっぽど逃げようかと思い、目で合図をした。
友達は目を丸くして首を振る。
もう一度入り口のほうをあごでさす。
くちびるが「ダメ」と動く。

「はい、できたよ」
どんぶりを両手ではさんで持って来た警官は、ひとつを置くと奥に戻ってもうひとつ
運んできた。
冷たいスチール机の上にあったかいドンブリが二つある。
外側が朱色、内側に渦巻き模様のあるドンブリに入ったラーメン。
香りと色からすると、これは味噌か?
具なしではあるが、器といい腹ペコ具合といい演出は最高であった。

「食べなさい」
やさしい声。
怖かった警官が、私の中でおまわりさんに変わった。
黙々と食べる二人。
スープが胃袋を満たし、緊張を解きほぐす。

あぁ、おいしかった。
おまわりさん、ありがとう。
私はこの日のみそらーめん、ずっと覚えている。

そのあとの悲しい経験とともに・・・。



                        <つづく>  

Posted by ながた岬 at 04:35Comments(0)TrackBack(0)らーめん

2008年02月28日

らーめん (しお)

13才の時、万引きをした。

それほど広くない田舎の商店は、10円のチョコレートから野菜、文房具、
長靴まで需要次第で何でも並べてあった。

友達と二人で店に入り、どのお菓子を買おうかと迷っているふりをしながら
店のおばさんが後ろ向きになった瞬間にガムをくすねた。
ドクドクと黒い血がめぐる。

奥の棚に商品を並べていたおばさんがこちらにやって来る。
とっさに友達は右へ、私は左へと別々の方向に移動した。
鼓動は高鳴っている。でも、まだ始まったばかりだ。

一つだけならこの前、別の店で成功していた。
案外見つからないものだと思い、欲が出たのだ。
何か欲しい物があったわけではない。どうせなら多く取ったほうが得ではないかと
物欲に支配されていた。

友達も私もおばさんのいない方へいない方へと移動していたので、結果、三人が
店内をぐるぐると回る形になった。

挙動不審の女子中学生二人の悪事は、おてんとう様でなくても見抜けてしまうことを
私達は知らなかった。

「その袋の中を見せてごらん」
お菓子一つの代金を支払おうとしていた私の心臓が、一瞬止まった。
おばさんには、私の顔から血の気が引くのが見えたのではないだろうか。

「御用」となった私達は、交番に連れて行かれた。

一日に数本しかないバスに乗り、約30分でこの「街」に着く。
私の住む集落は個人商店が5軒位しかなかったが、ここには本屋やおもちゃ屋や
たくさんの専門店がある。
町役場があるからか、屋久島で一番ひらけた「街」だ。パチンコ屋やボーリング場まである。
私は小銭を貯めて、何ヶ月かに一度この街に来るのを楽しみにしていた。

そして、この街には荒田のばあちゃんの娘が住んでいる。
けっこうな年齢だったが独身で、いつ行っても歓迎してくれた。
お昼頃に着いて「おばちゃん」の家に行くと、いつも決まって塩ラーメンが出る。
もやしと卵の入った塩ラーメンは、見た目よりもずっとおいしい。
人目をひく美人ではいけれど、付き合ってみたら味のあるすごくいい子だった
というようなうれしさである。これはゴマのおかげか?

今日も「おばちゃん」の家に行ったが、おばちゃんはいなかった。
いなくても勝手に上がって、勝手にいつもの塩ラーメンを作って食べた。
もやしと卵は絶対になくてはならない。

あぁおいし~。満足して外に出た。
お腹と気持ちが満たされているのに、悪いことをする気になったのはなぜだろう。

おまわりさんに、朝からの行動を話しながらハッと気がついた。
おばちゃんの家にカバンを忘れてきた・・・
もう帰って来てるかもしれない。
「すみません・・・カバン・・・取りに行きたいんですけど・・・」

友達を人質として交番に残し、一人でおばちゃんの家に向かう。
「走れメロス」とはかなり状況が違う。足取りは重い。

おばちゃんはいた。
「あら、一人なの?」
「うん・・・友達はバス停で待ってる・・・もう帰る」
「あっそう、今日は早かねぇ」
「・・・」
 
本当のことは言えなかった。

「またおいでね」
やさしいおばちゃんのいつものセリフ。

カバンを抱えて玄関を出る背中に、おばちゃんの視線を感じていつの間にか
早足になっていた。
「もうおばちゃんに顔見せられない!」後悔で泣けてきた。
とっくに視線はないのに振り返れない。

13歳の私が交番までトボトボと歩きながら決意したこと二つ。
・・・もうおばちゃんの家には行かない。
・・・もう塩ラーメンは食べない。

私は大好きなものを封印することで自分を罰する決意をしたのだった。

                        <つづく>







  

Posted by ながた岬 at 03:54Comments(0)TrackBack(0)らーめん

2008年02月10日

らーめん (とんこつ)

先週、仕事をしていて帰りが遅くなった。
いつも午後7時頃帰る夫に合わせて早めに帰り、食事を作る。
遅くなることが分かっていれば「何か食べてて!」とメールをする。
彼は、冷蔵庫に煮物等「何か」残っていても、たいていラーメンを作って食べていた。

その日、ふと気がつくと午後8時を過ぎていた。
しまった!メールもしてないのに・・・夫はまだ何も食べずに待っているかもしれない。
「ごめん、遅くなった。今から帰る。何か食べた?」とメール。
「いいよ、食べたから」との返事。

そうか、食べたのか。何を食べたんだろう。
私は途中で自分用にお弁当をひとつ買って帰った。おなかペコペコだ。

「ただいまー!」
帰ると夫は台所で何か作っている。
ラーメンの袋が見えた。二つ。
「あれっ、ごはん食べたんじゃないの?」
「うん、朝の味噌汁とごはん。足りないからラーメン食べる」

ひょっとして私の分も作ってるのではと思いながら、しかしそんなそぶりは見せず
「二つも?」と聞いた。
「うん」
そうなのかよっ!・・・でも人がラーメン食べてると欲しくなるよね。

「私にもちょうだい!」
「いいよ」
へぇー、先にごはんを食べたからか意外にあっさりとO.K 。

運んできた二個のどんぶりに一つは卵が入っていた。
素ラーメンは許せない派の私へ気を使ってくれたのか。
一つのお弁当を二人でつつき、人に作ってもらったラーメンを食べてる幸せ。
あぁおいしい!今日のとんこつラーメン。

子どもの頃父子家庭の我が家では、准主食がラーメンだった。

父がケース単位で買ってくる。
食べるものがあってもなくても、私はラーメンを好んで食べた。

小学生でも作れるインスタントラーメン。
あったかいラーメンはおなかを満たし、心を落ち着かせてくれる。

今日のとんこつはやけにおいしいなぁー。  

Posted by ながた岬 at 22:27Comments(4)TrackBack(0)らーめん

2008年02月04日

近況報告 (つどいの家かりん一周年!)

祝一周年!
昨年2月1日にオープンした小規模デイサービス。
何とか一年やってこれた。
お祝いにパーッとやりたいところだけど、
「今日でまる一年たったんだよー」と
オープン当初から利用してくれてるTさんに
「いろいろ教えてくれて、ありがとー」とお礼を言って終わった。

去年、「忘年会」は会社負担で企画するものと思っていた私は、そのことには触れず
そのままいっきに仕事納めに持ちこみ、うやむやにしようとたくらんでいた。

しかし、年中行事が体にインプットされたようなYさんがいる。
初詣、七草粥、鏡開き、節分、梅見、桜見・・・とあらゆる時を楽しむ人だ。

「忘年会はどうするよー」と聞いてきた。
「えっ、みんな忙しいでしょ」「それに、まだ財政難だし・・・」としどろもどろの私に
「そりゃやるさやー」と「割り勘でもやらなくてどうする!」と言ってくれた。
他のみんなも同じである。
あぁなんてやさしい人達なんだろう。私は幸せ者だ。

オープン前、まだ始まっていないかりんの台所に立ち、ありあわせのもので
お昼ごはんを作ってくれたYさん。
お昼に戻れなかった私のために、ちゃんとお茶碗のごはんがラップしてあった。
お味噌汁もお椀ではなく、お茶碗に入ってラップしてある。そのままチンすればいいだけだ。
そのやさしい気持ちがうれしくて涙が出た。

自分の理想を実現したい私のために、協力してくれる人達がここにいる。

じじばばを大事にしたいならまず職員を大事にしなくっちゃ!と思う。
今、彼女達は私がじじばばにしてあげたいことをしてくれる。
一人では出来ないことが、協力しあって実現できる。

赤字続きなのに幸せいっぱいな私ってどーよ?

「ここは私達に任せて営業に行ってくださいよー」と22才のTちゃん。

よーし、2月は営業に走るぞー!(お正月に増えた体重を落とさなければ・・・)



  

Posted by ながた岬 at 21:42Comments(3)TrackBack(0)

2007年12月15日

私に出来ることは何か(鎌田實講演会にて)

先日、浜松市の健康づくりセミナーを聴講した。

講師は『鎌田實先生』 講演テーマは
「がんばらない」けど「あきらめない」~命を支えるということ~ 
 
鎌田先生は諏訪中央病院名誉院長で、赤字で今にもつぶれそうだった同病院を
再生し、健康セミナーを通して長野県民の平均寿命を延ばし日本一にした方です。

前半は健康の話。
長生きするための秘訣、それは血管をきれいにしておくこと。
 ①塩分を控えよう
 ②魚を週5日食べよう
 ③色のついた野菜を食べよう
 ④食物繊維を摂ろう
 ⑤毎日歩こう
 ⑥毎日簡単ストレッチをしよう
 ⑦BMIをめやすに太りすぎに注意しよう
 ・・・そのようなお話。

後半は先生の生きてきたなかでのいろいろ。人との出会い。

鎌田先生は1991年に「日本チェルノブイリ連帯基金」を設立し、
チェルノブイリ原発事故の影響で白血病や癌に苦しんでいる人々への
救護活動を開始しました。
それからの15年間に80回医師団を派遣し、約6億円の医薬品をベラルーシ共和国の
放射能汚染地帯の病院に支援してきたそうです。
2004年からはイラクへの医療支援も開始しています。

彼は父親とのこんな話をしてくれました。

心臓病でずっと入院していた母と入院費を稼ぐために夜遅くまで働く父。
毎日一人で留守番をし、一人でご飯を食べてる寂しい自分。
貧しい家庭だったけれど、近所のおばさんがおかずを分けてくれたり、テレビを
見せてもらいに行く家で「今日はごはん食べていきな」と食べさせてくれたり。
昔は、自分のところも大変だけど他人にも分けてあげるようなそんな人間関係があった。

高校生になって「医者になりたい」という彼に、お金がなくて大学に行かせてやれない父。
くやしくて「なんでダメなんだよ!」と父の首に手をかけそうになった。
その時父は「何でも好きなことをやれ」「俺は何もしてやれない」と言った。

鎌田先生は、この親が『行くところのない1歳の自分を拾って育ててくれた』親であることを後で知る。
私には『自分を拾って育ててくれた』恩ある父の首に手をかけたことを、ずっと悔いて
いる先生の気持ちが伝わってきた。
荒田のばあちゃんととうちゃんに、やさしくできなかった私の後悔と同質の悲しさである。

先生は「貧乏人がどんな思いをして医者にかかるか忘れるな」という父の言葉を胸に
刻んでいる。
入院費を稼ぐために必死に働いた父、寂しさに耐えた息子もまた母に良くなってもらいたい一心であった。

医師になった鎌田先生の活動の中に、ご両親やご近所さんやいろいろな人との繋がりで培われた、人間への深い愛情を感じる。

同じように親戚や友達の親やたくさんの人によって育てられたと思う私も、何か恩返しがしたい。

『私に何ができるだろうか』

良い話を聞くと、いつもそう思う。

講演会の後「コーヒーでも飲んでく?」と四人で小さな店に入る。かりんメンバーだ。
「泣けたねー、どこでグッときた?」と各々の感想など話していたが、おすすめケーキバイキングの文字に目がとまる。
「さっきのBMI計算しよっ!えーと、体重÷身長÷身長は・・・25までならいいんだよねー!」
それぞれ携帯電話で計算する。
「私大丈夫、食べられる!」と一番若いY子ちゃんが席を立つ。
「私も大丈夫。超えたら減らせばいいんだよね」と私が言うと
「うん、健康という視点からなら26までは許せるって言ってたよ」とMさん。
おお、みんなまじめに聞いてたんだねー。

私は心置きなくプチケーキ12個とドリンク3杯を満喫できた。
有意義な健康セミナーであった。

『私に出来ることは何か』との思いは毎週「情熱大陸」を見て反すうしている。
思い続けていれば、きっと何かに近づいて行くはず。






  

Posted by ながた岬 at 04:33Comments(3)TrackBack(0)ながた岬

2007年12月06日

疑似体験?

その日、朝からお客様のところを訪問する予定があったので、
ジャケットをはおって車に乗った。

近くまでは来たが駐車場がない。
どこか少しの間車を停めておけるところはないかと探していた。

その道の片側にはずらっと車が縦列駐車している。駐車禁止の標識はない。
私の停めるスペースはないかと車の列を横目で追いながらゆっくり走る。
うわっ!みごとに埋まってるよ。

しかたがないので十字路を左折し、又すぐに左折。
一本離れた道もたくさんの車が路上駐車していた。

ここでいいかっ!
目的地から少し離れてしまったが、わずかの隙間に頭から突っ込む。
きれいに入らないけど、まっいいか!

車から降りてまっすぐ歩く。
角を曲がって、さらに次の角も曲がってどんどん歩く。
今日は天気が良くて、風も気持ちいい。

あれっ?
この辺だったと思ったけど・・・
しばらく歩いてから不安になった。
一軒づつ表札を見ながら、門構えや玄関に見覚えはないか自問する。

えっ?
私、誰のうちに行くんだっけ?
何しにいくんだっけ?

立ち止まる。
手にはバッグも書類も何も持ってない。

あれっ何で?どうしたんだろう・・・

とりあえず車へ戻ってバッグを持って来なくちゃ。
手帳を見ればわかる。

早歩きで車へ戻る。
角を曲がって、又次の角を曲がった。
道の左側に並んだ車、大ホワイト、小シルバー、小ホワイト、中シルバー・・・
あれっ、ないよ。道の端まできたのに私の車がない!
おかしいなー・・・
もう一度来た道を戻る。
右手で車にふれながら「違う」「違う」「これも違う」と一台ずつ念入りに確認する。

おかしいなー、一本道を間違えたのかなー。
ひとつ手前の道に入る。

「違う」「違う」「これも違う」・・・ない!私の車がみつからない!
あせりと不安は増大し、自分の車を探すことで頭がいっぱいになった。

もう一度来た道に戻る。
何度も同じところを行ったり来たり。

いったいどのくらい歩いたのかわからない。疲れて足が重い。
いったいどうなってしまったのかと不安と心細さに支配される。

その時、通りかかった美容院の戸が開いて年配の女性から声をかけられた。
「どうかしましたか?」

フッと緊張の糸が切れた。
招かれるまま中へ入りイスに座ると、一筋の光明がさしたような気がして
朝からのこと、ずっと車を探していることをいっきに話した。

「そうですか、それはたいへんでしたねー。どなたかご家族に連絡してみたら
どうですか?」
「それが、今日は財布も何も持っていないもんですから」
「どうぞうちの電話を使って下さい」

あぁ、なんて親切な・・・

夫に電話をかけるとすぐに迎えに来てくれた。
「だいじょうぶ?」
イスから立ち上がった私の肩をポンポンとたたきながら引き寄せる夫。
大きな安堵感であった。

この時、少し離れた空間からこの状況を客観的に見ている自分がいた。
きちんとした服装に着替えたと思っていたのにパジャマのままのわたし。
足元はスリッパ。
車など初めからなかったのだ。

ハッとして目が覚めた。心臓がドクドクと高鳴っている。
あぁー・・・夢だったんだ・・・
怖かった・・・
何も思い出せず一人でさまよっていた時の不安、心細さ、怖さをはっきり覚えている。
そして体もぐったりと疲労困憊していた。

自分の記憶が鮮明なうちに、問いかけた。
「なんでもっと早く誰かに助けを求めなかったの?」
「私の車はどこでしょうかなんて聞けるわけないでしょ」
・・・そうか、ばりばりと仕事をしている時の私だった。

「じゃあもっと早く電話すれば良かったのに」
「車を探すことだけしか考えられなかった」
・・・そうかー

心臓の鼓動がやっと静かになった。

夢の中でも認知症の私に夫はやさしかった。


  

Posted by ながた岬 at 06:05Comments(3)TrackBack(0)ながた岬

2007年10月03日

近況報告

つどいの家かりん」もスタートして8ヶ月が過ぎた。

「ここはみんないい衆だ」と安心し、利用回数を増やして下さった方が何人かいて
一日の利用者数も増えてきた。
まだまだ安定経営には至らないけど、利用者さんや応援して下さる方々に
支えられて何とか今日まで来れた。
今にも倒れそうな自転車操業だけど、絶妙なバランス感覚です。

先月は私にとって大変な月だった。
夜九時半頃、まだかりんで書類整理をしていた私の携帯電話が鳴った。
職員のAさん。
「辞めさせてもらいたい」とのこと。
もう明日から行けないだなんて、急すぎてオーマイゴッド!

翌日から他のパートさんに、日数を増やしてもらったり娘を頼んだり。
研修やいろいろが重なって、休む暇もない。
今まで生きてきた中で、今が一番働いてるなーと思った。

右奥の歯が痛んでまたほっぺたが腫れた。
それは、斜めに倒れて歯ぐきの中に埋まったままの「親知らず」だ。
隣の歯によりかかって刺激しているらしい。
義父の葬儀の頃も腫れて眠れなかった。

「疲れてるんだよ、休みな」とやさしいYさんが言う。
歯の痛みと疲れは関係あるの?

一週間ボルタレンを飲みつづけて腫れがひいた頃、紹介状を持って
医療センター口腔外科へ行った。
手術の日が決まる。歯ぐきを切開して親知らずを砕いて取るとのこと。
ゾーッ!
お産の痛みはとっくに忘れてるしなー(あの痛みに比べれば、どんな痛みも
がまん出来るって誰かが言ってた)

三週間後、全身冷や汗をかいて抜歯終了。
ホッとしたのもつかの間、翌日から顔の右側がぱんぱんに腫れて
食事もできない。
それなのに利用者さんから「あなた、口に何か入れてるでしょ」と
つまみ食いを疑われ、日頃の行動を反省。

少しづついろいろなことを整理し解決するとともに、ほっぺたの腫れもひいてきた。

私の好きな秋だ。
篠原のお芋(紅あずま)はホントにおいしい!
Yさんの作った100%栗きんとんも皆で味わった。
残った一つのきんとん争奪戦でじゃんけんに負けたのが残念!

元気でやってます。
近くに来たらぜひ立ち寄って下さい。

手土産なんかいらないって、ホントに・・・ (^.^)




  

Posted by ながた岬 at 04:29Comments(2)TrackBack(0)ながた岬

2007年08月31日

事件 (返して!)

<つづき>

その時、私の呼びかけに答えるように中から声がした。
「ながた・・さん?」おびえたような声である。

「いるの?どうしたの?開けて!」
またガチャガチャとドアノブを回す。

カチャッと鍵のあく音がした。
ゆっくりドアが開けられ、そこには驚いたような表情のSちゃんが
立っていた。

「どうしたの!?」
二人同じ言葉を発する。

エッ?
現状が把握できない。

「電話はどうした?通じなかったよ今日」
「通じてるよ、ずっと」
うそ・・・
「家の電話は?」
「うん、家のも大丈夫」
そんなはずはない・・・

「通じなかったよ、ぜんぜん!」
私は彼女の目の前で電話してみせようと、自分の携帯電話を
ポケットから取り出した。
発信履歴から彼女の番号を出そうと指を動かしながらハッとした。

いきなり、埋もれていた記憶の中から赤枠に囲まれた文字が浮かび上がる。

『支払い期日○年○月○日』

あぁ゛ーやられたー!

今、鮮明になった一枚のハガキ、それは
【通話停止予告通知書】

「いきなりガチャガチャやるから変質者かと思ったでしょ!」
「息を止めてのぞいちゃったわよ!」

あぁ、彼女のかわいい声がする。
生きてる。足がある。靴下のまま出てきてるよ。
よかった・・・私がバカで・・・。

と思ったのは一瞬。

「あ゛ぁー、今日一日はなんだったの!!」

疲れがドッと出てきた。もう飲む気にもならない。
コンビニに寄って、いまいましい○uに支払いをしなければ・・・

「私の今日を返して!!」と○uに八つ当たりするしかない。

これからも、こんな自分と付き合わなきゃならないなんて・・・

疲れるなー  

Posted by ながた岬 at 02:21Comments(7)TrackBack(0)友達

2007年08月19日

事件 (間に合わないのか・・・)

<つづき>

どうすれば早退できるかを考えながら午前中の仕事を終えた。

誰かに代わってもらいたい。
しかし無理だった。
私一人のために、何人ものヘルパーを変更しなければならない。
今日は最後までやるしかない。

『子どもが急病で学校へ迎えに行かなければならない』とか
『夫が事故で病院に運ばれた』という理由なら許されるんじゃないかと
いつまでもあきらめきれないまま、仕事を続けた。

途中何度もSちゃんの携帯にかけてみるが、やはり繋がらない。

午後5時半。最後の訪問先からそのまま磐田バイパスを浜松へ向かう。
その頃、転勤のために浜松から磐田の事業所まで通っていたのである。
国道一号線は、天竜川にかかる橋がいつも混んでてイライラする。
往復2時間かけて通勤している現状を、この時ほどうらめしく思ったことはない。

浜松の市街地も混んでる時間だ。
宮竹の交差点を六間道路へと抜けてSちゃんのアパートへ急ぐ。

アパートの駐車場に入ると彼女の車が見えた。
「車があるのに、なんで電話が繋がらないの・・・?」
どうしても一つの想像に結びついてしまう。
頭がクラクラした。

階段を駆け上がってドアをノックし、続けざまにチャイムを鳴らす。
返事はない。
ドアノブをガチャガチャ回すが鍵は閉まっている。
耳をすますが、人の気配はなかった。

やっぱり・・・

大きな絶望感が私を襲う。
涙があふれてきた。

「Sちゃーん・・・」
私は泣きながらドアをたたいていた。

                      <つづく>  

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2007年08月12日

事件 (胸さわぎ)

私は昔から、思いつきで行動するのが好きだ。

突然「今から行く!」と言って「いいよー」と答えてくれる友達は
私の宝物である。

結婚しても「ご主人ほっといていいの?」と言われながら「大丈夫!」
と会いたい時に友達に会いに行った。

子どもができても、子どもをポンと車に乗せて出掛けて行くのである。

(こうして慣らされた)夫は、私を束縛せず自由にさせることが夫婦円満の
秘訣だと悟り、船を見送る港のようにいつでも静かに私を見守ってくれている。

それは私がヘルパー事業所に勤めていた時のこと。
ある日、仕事が終わってからSちゃんにメールをした。
彼女は職場は違うが、同じく高齢者介護に携わっていて一人の人を大事にする、
こだわりを持ったすてきな女性だ。
アパートに一人暮らしの彼女のところは最高に行きやすい。

「今から行ってもいい?」仕事で、理不尽なことや納得できない事があると
Sちゃんのところへ行きたくなる。
飲みながら、ああでもないこうでもないと話をすると癒されるのだ。

「いいよー。ご飯はどうする?ありあわせで良ければなんか作るけど」
あぁ、しあわせ!仕事から帰ってすぐご飯が食べられるなんて・・・
「何でもいいよー、私はビール買ってく!」と既にこの時点で癒されている。
そうだ、うちにも連絡しとかなきゃ。
「今日は友達のところに寄るから遅くなるよ」と夫にメール。
「お母さんは遅くなるから、ご飯は各自ね」と子ども達にも送る。
いざとなったら自分で出来ることは実証ずみ、お肉だけ先になくなるけど。

彼女に今日の話を聞いてもらい、二人でビールを飲みながら人生を語る。

「そういえば、彼のことどうなった?」と以前から彼女を好きだと言ってた
男性のことを聞いてみた。
「うん、結婚を前提に付き合って欲しいと言われたけど断ったの」
どこかピンとこなかったという。
「ふ~ん、彼は解ってくれた?」
「いつまでも、待ってるからって・・・」

ドキッとした。
なんか怖いセリフ。
よくとるか、悪くとるかは彼女しだいだけど、私だったら嫌だ。
ストーカーみたいにならないだろうか。
一抹の不安を覚えた。

私はその日、午後九時過ぎに帰ってきた。

翌日、出勤途中の信号待ちで、彼女にメールした。
週末に行く予定の講演会について正確な時間を知らせるつもりであったが
メールは送れなかった。
「おかしいなー」と思いながら何度か送りなおしたがダメだ。
「なんでかなー」と今度は直接彼女の携帯に電話をかけた。

繋がらない。
「えっ?」嫌な予感がする。
すぐに彼女の自宅の電話にもかけてみたが、やはり繋がらない。
私の頭の中に、切られた電話線と壊された携帯電話が見える。
そんな・・・

どうしよう、他に連絡のとりようがない。
彼女はどうなってしまったのだろう・・・
あの男に刺されて玄関にうずくまっているのではないか、
今Uターンして彼女のところへいけば助かるかもしれない・・・
悪いことばかり想像してしまう。

でもヘルパーの仕事はどうする?もう今からじゃ急に交代はできない。
私が行かなきゃずっと濡れたおむつでいるおばあさんや、
お昼ご飯が食べられないおじいさんがいるのだ。

Sちゃんごめん、なるべく早く行くから!

私は運転しながらずっと涙をうかべていた。

                     <つづく>  

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2007年08月06日

家族介護 23 (夢千代みたい)

<つづき>

何事もなく朝を迎えた。
私はよく眠っている義母をみてホッとし、手首のヒモをほどいた。

布団の上に寝転んで友達にメールする。
「おはよー!義母に付き添って、きのうから夫の実家に来てるよ。
日勤からそのまま夜勤をこなし、再び日勤に突入するところでーす!」
と、施設勤務の頃を思い出していた。
夜勤明けは朝からテンションが高いのはなぜだろう。

そんな私とは反対に、義母は食欲もなく、きのうより元気がない。
「お義母さん、しんどくない?早めに病院へ帰ろうか?」と声をかける。
「だい・・じょうぶよ・・・」
やっと一言答えると目を閉じる。確実に言葉も減ってきた。

血圧を測ると上が80をきっていた。
すぐに病院へ戻った方がいい。
夫や義弟と相談し、救急車を呼び病院へ向かう。

不思議と搬送中は、救急隊員の呼びかけにしっかりと答え血圧も正常値であった。
人前ではいつもきちんとしたい人だったから、あれは最後の気力だったのか。

病院へ戻った義母は、再び無菌室のベッドで休みそのまま眠った。

そして翌早朝、静かに息をひきとった。


元気な頃、私に話してくれたね。
「夢千代日記というドラマがあってね、主人公の夢千代が毎年写真館で
自分の写真を撮るの」
「それは病気で余命いくばくもなかったから、きれいな時に撮って遺影を残す為よ」
「それ見て、私も自分の時に使ってもらう写真は決めておこうと思ったの」って。

「へぇー、じゃあ撮りにいくの?」と冗談で返すと、笑いながら食器棚の隅から
写真を取り出してきて、
「これちょっとピントが合ってないけど、自分では一番気に入ってるの」と
姪の結婚式の時に撮った写真をみせてくれたね。
もともと美人だけど、それは確かに上品ないい表情で写ってた。

写真はあの時のまま、食器棚の右隅にはさんである。

義母は自分の思い通り、ドラマのようなかっこよさで旅立った。
私はまだ帽子、編んでなかったのに・・・。  

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2007年08月03日

家族介護 22 (いい夜だったね・後編)

<つづき>

入院が長引くにつれて、義母は気弱になってきた。
「もう、うちに帰れないかもしれないね・・・」と言い、
抗癌剤治療の後は微熱と吐き気で体力を消耗し、
「いつまでこうして生きてなきゃならんかねぇ・・・」と辛そうであった。

「舘山寺のホテルにでも泊まって、妹たちと昔の懐かしい話がしたいわ」
「母が作ってくれた、おナスの入ったおソーメンが食べたいわ」
といつも言っていた。
一人病室のベッドで思い出すのは、両親の愛情をいっぱいに感じて育った
遠い昔のことだったのだ。

「一日だけでいいから、うちに帰りたい」というのが義母の願いであった。
本人なりに整理しておきたいことがあったのだろう。
しかし何ヶ月たっても医師の許可は出ない。

諦めていたころ突然「一泊だけならいいですよ」と言われた。
「明日一泊し、あさっての夕方には戻って来て下さい」と待望の外泊許可だ。
今は熱もなく、落ち着いているとのこと。

「ハナミズキの花が咲いたかどうか気になってたの」と義母の声が
弾んでいる。
急な話だったが明日の介護タクシーを予約し、叔父、叔母にも時間があったら
家に来てほしいと連絡をとった。

清水に住む叔母に「明日ここに泊まれない?」と聞いてみたが来れないという。
それなら、と私は懐かしいおソーメンとはどんなものだったかを聞いた。
叔母は特に珍しいものではなく、物のない時代だったから母親が量を増やすため
野菜をたくさん入れて作ったニュウメンのことだと教えてくれた。

病院では久しぶりの外出に配慮し、お風呂に入れてくれたが
義母は少し疲れた様子である。
「車椅子に座っているだけで、しんどい」
「やっぱり明日は行けそうにない」と言う。

もう、座っている体力もないのか・・・。
なんとかできないかと考える。
リクライニングの車椅子をレンタルしたくても入院中は、介護保険が使えない。
社協でも車椅子を貸してくれるけど今からじゃあ手続きが間にあわない。

福祉用具事業所のIさんに電話をしてみた。
いつも利用者さんの相談にのってもらっているが、今日は自分のことだ。
自費で貸してもらえないかと相談する。
「この仕事は儲けばかりではなく社会貢献の意味もありますから、困っている時は
使ってください。特別扱いではなく誰にでもそうしますから」と無料で貸してくれる
との事。

なんて親切な!
考えてみると、私は困ったときいつも誰かに助けられている。
そして私はありがたいと思う度に、自分も誰かの役に立って恩を返していこうと
思うのである。

翌朝、義母は借りてきたリクライニングの車椅子に座り「あぁ、これは楽だ・・・」と
ほとんど横になった状態でゆっくりと自宅に帰ることができた。


玄関前のハナミズキは薄いピンク色の花をつけている。
その清潔そうな姿をみて「あぁよかった。去年咲かなかったから・・・」
と安どした顔は、この日一番の笑顔だ。

義母は車椅子に横になって、居間にいた。
自分の弟達、子ども達、孫達の声を聞きながら「やっぱり、うちはいいわねぇ・・・」
とずっと笑みを浮かべている。

昼食にニュウメンを作ったが食欲がなく、短く切ったおソーメンを二口くらい
口に入れてあげただけで終わってしまった。

夕食もイチゴしか食べない。
「お水飲ませて・・・」
自分でコップを持つ力はもうない。

夜、義母のベッドに並んで布団を敷く。
初めて二人で寝るのだけれど、介護役として家族中の期待を背負った私には
呼んでも起きなかったなんてことは許されない。
でも義母のか細い声では、とうてい起きられないなと自覚して対策をたてた。

月並みだけど、自分の手首にヒモを巻いてその先を義母の手元のベッド柵に結ぶ。
義母がヒモをひっぱると、私の手が動いて目が覚める予定である。

はたして・・・

私は夜中に手をひっぱられて、何度か目覚めた。
義母は私の名を呼び、
「ごめんね、よく寝ていたから起こすのは可哀想だと思ったんだけど・・・」
と水を飲ませてほしいという。

ミネラルウォーターをらくのみに入れて口に含ませると、ゴクンと飲み込む。
「あぁー、おいしぃー」
まるで美酒でも含んだかのように、一口飲む度に
「あぁー、おいしぃー」とささやくのだ。

私は、こんなにおいしそうに水を飲む人を始めて見た。そして感動した。

必要なものを、必要なだけ頂けることの幸せを体現した義母の姿は
高貴な輝きをもって、私の脳裏にしっかりと刻まれた。

ありがとう。
いい夜だったね、お義母さん。

                 <つづく>  

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2007年07月28日

家族介護 21 (いい夜だったね・前編)

7月、義父の初盆で親戚が集まった。
誰も住まなくなった家に、久しぶりに賑やかな人の声がする。

「みんな元気でやってるよ、心配しないで」
送り火を焚きながら、帰っていく義父母の姿を想像していた。

「お義母さん、何かしてほしいことはなかった?」
私はやさしい義母の最期に、もっと何かしてあげたかった。
それが出来なかったから、義父の時には一生懸命だったのかもしれない。

骨髄異形成症候群
それが義母の病名だった。

「前白血病状態」と言われるその病気は、抗がん治療や
放射線治療を受けた数年後に、副作用として発症することもあるという。
義母の場合、胃がんの手術を受け服薬を続けてきた。

本人には胃潰瘍の手術と説明し、それも5年経過して安心していた。
ところが食欲が落ちて何も食べられなくなり、少し動くだけで疲れると
いうので病院へ連れて行くと即入院となった。
始めは四人部屋であったが、微熱が続くようになり無菌室へ移された。
免疫力が落ちて感染しやすいのだという。

この時、既に「いつどうなってもおかしくない」状態であると告げられた。

本人にははっきり告知していなかったが、医師より病名と「血液の病気」との
説明があり「白血病のようなもの」と理解したようである。

「髪の毛が抜けるかもしれないって言うから帽子を買ってきて」と頼まれた。
暑いさかりで、病院で常にかぶるのにちょうどいい帽子はみつからない。
私は手芸用品店に行き、「編み物の基礎」という本と綿糸、かぎ針を買い
悪戦苦闘しながら二晩かかってニット帽を編んだ。
それは色も義母の好きな上品な紫だし、失敗を繰り返して習得した模様編み
での仕上がりは、我ながら満足の出来であった。
「どう?」と自分でかぶって、夫や子どもたちに見せてまわった。

はやく義母の喜んだ顔が見たいと、夫をせかして病院へ行く。
病室の入り口で手を消毒し、白衣を着て専用のスリッパに履き替えてから中へ入る。
おっと、マスクを忘れていた。

「これ、どう?」と帽子を手渡すと「あら、あなたが編んだの?」と
すぐに分かるのはどうしてだろう。
「まあ、ぴったりだわね」とうれしそうな表情をしたのは一瞬。
「今ぴったりだと、髪が抜けたらゆるくなるからひとまわり小さくなきゃいかんね」
おお、なんと聡明な母上。
そんな事考えもしなかった。

「あっそうだねー。じゃあ今度はもう少し小さめに編んでみるね」
と受け取って紙袋にしまった私を、かわいそうにという目で夫が見ていた。

既に集中力が切れていた私は、家に帰っても次を編み始める気力が
なかなか沸いてこない。

長女も時々病院の義母宛てに、手紙を書いてくれていた。
おばあちゃんから返事がきたと、手紙を読んでいた彼女が
「おかあさん、おばあちゃんからの伝言」
「『帽子の色は黒にして下さい』だって!」

クックックッ・・・アッハッハッ・・・
しばらく笑いがとまらなかった。

うれしかった。
今は手足を動かすこともしんどい状態である。
孫に返事を書くこともやっとであったと思う。
誰にでも気遣いと遠慮ばかりしている義母がたまにみせる
私への遠慮なしの態度。
甘えてくれることがとてもうれしかった。

                    <つづく>  

Posted by ながた岬 at 17:02Comments(0)TrackBack(0)家族介護

2007年07月16日

続・ドキドキ台風(なめんなよー!)

屋久島育ちの私は、目の前が海であったにもかかわらず小学6年生までまったく泳げなかった。

いつでも泳ぎに行ける環境にあったからか学校にプールはなく、小学校で水泳の授業を受けた覚えはない。
泳げなくても浮き輪さえあれば、いつでも友達と海や川へ入って遊べるのだから気にしたことはなかった。(今思うととてもデンジャラス!)

6年生の夏休み。
雨もやんだ台風の翌日に、友達のTちゃんと二人で海へ行った。
彼女の家から松林を抜けて3分で海に出る。
台風の影響でまだ波が高いことは堤防からでも見えた。

私たちは、今までこんなに波が高い日に泳いだことはない。
だから、そんな日に泳ぐとどういうことになるか予測できなかった。
雨で、もう3日も遊んでなかったから楽しくてしょうがない。

少し泳げる彼女は浮き輪など使わない。
私はいつでも浮き輪があるから、怖いものなしだ。
それでも波を気にしながら海に入る。
波打ち際でザブーンと押し戻されて、なかなか海に入って行けない。
波に転がされて笑っているうちは余裕があった。

引いていく波に乗り海に入って行く作戦をたて、彼女は私の浮き輪につかまる。
「よし、いこー!」
海中の砂を蹴りながら二人は引いていく波に身をまかせた。
「わおー!」
波に乗った。すごい高さから砂浜を見ている。

「ヒェー!ちょっと・・・」 
こわいね、と言いかけた時、頭の後ろからザブーンと波がかぶさってきた。
のり巻きの芯になったように、海中で何回転も巻かれて息ができない。
どの方向が上なのかまったく分からないままもがき続けた。
海水をしこたま飲み「あぁ死ぬんだ」と思ったその時、何とか砂浜に打ちあげられた。

引いていく波に再び引きずり込まれそうになるのを必死でふんばりながら、砂浜へ這っていく姿はアリ地獄に落ちたアリのようだったかもしれない。

Tちゃんと二人、ぐったりと砂浜に横たわる。
助かった・・・。
怖かった・・・。

怒られるだろうと思い、誰にも言えなかった二人。

生きてて良かった・・・。  

Posted by ながた岬 at 02:27Comments(6)TrackBack(0)ながた岬

2007年07月14日

ドキドキ台風

大型台風4号がそこまで来ている。

義父の初盆で、明日は親戚一同で会食の予定なのに。
みんな、ずぶ濡れになることを覚悟で来てもらわなければならない。
オヨヨ・・・(←なつかしい)

屋久島は台風のメッカ!
どこかへ行ってしまうにしても、必ず屋久島は通る。
子どもの頃は、台風で学校が休みになることも多くそんなにイヤじゃなかった。
台風が近づいて、なま暖かい風が吹いてくると何だか落ち着かない。

父は雨戸の外に長い板を横に渡して釘で打ちつけ、台風に備えた。
風雨が激しくなるとすぐ停電になる。
ゆれるろうそくの灯かりのなかで、激しく打ち付ける雨と
吹き荒れる風の音をドキドキして聞いている。することは何もない。
ただひたすら台風が過ぎるのを待つのである。
それもまた嫌いじゃなかった。

しかし小学生の時一度だけ吹っ飛んだことがある。

雨戸も外れ、玄関から裏口までものすごい風が吹き抜けていった。
家の中のものは全部外に飛ばされていく。
ずぶ濡れの姉と私は父と三人で一塊になり、台風の真っ只中をはだしのまま
荒田のばあちゃんの家に逃げた。
台風に狙われたようで、死ぬかと思った。

翌日、家はあばら家になっていた。
外にびしょびしょの教科書やランドセルが散らばっている。
どうしよう、もう学校へ行けないと途方にくれた。
でもそこは義務教育。
初めて「被災児童」となり、無償で新しい教科書がもらえたのだ。

今夜、近づく台風の気配にドキドキしながら雨音を聴いている。  

Posted by ながた岬 at 18:58Comments(3)TrackBack(0)ながた岬

2007年07月13日

心は何処に有るか 9 (元気出せよ)

<つづき>
彼の不要品はすぐに役立った。

小さな折りたたみ椅子2脚は、庭の花を見るのにちょうどいい。
大きい水筒は氷も入る6リットル。保温・保冷両用なのが嬉しいね。
さっそく利用者さんとガーデンパークに行って大活躍!
バーべキューグリルと木炭、ヘッドライトは非常用として保管した。

その他こまごまをもらいに行こうと思いながら2週間たった。
土曜日、仕事は休みだけど書類整理にかりんへ向かう。
その途中思い出してメールした。
たぶん暇だろう。仕事が片付いたら、不要品をもらいに行きながら
お昼を一緒に食べよう。

「オハヨー、忙しい?」と送ると15分後に返事が来た。
「忙しくはないよ。朝6時から飲んでる」
えっ、6時から飲んでるの?もうすぐ10時だよ。
朝から一人で飲んでるなんて、何かあったのかな。

車が信号で止まった。
「どうした?」と再びメール。
何かあってやけ酒でも飲んでるのかと心配になった。
毎日血圧計って、飲むのも控えてたのにどうしたんだろう。
なかなか返事がこないから追加メール。
「今から行くよ」

車をUターンさせて彼のマンションへ向かう。

メールの着信音がした。
「頭いたいんだけど。それに眠い」って、来るなってこと?
私に会いたくないなんて深刻なのかなー。

「ちょっと寄るだけ。あと5分で着くから起きてて!」と返す。

人の想像力は、自分の知識や経験の範囲内でしかない。
私の場合、朝から頭が痛くなるほど飲むというのは会社で何か失敗したとか、
失恋したとか、よっぽどの悩みを抱えているとしか思えなかった。
私が行ってどうなるものでもないけど、近くにいるということは何か意味が
あるのかもしれない。

マンションドアの前に立ち、チャイムを鳴らす。
出てくるのが遅い、寝てしまった?
ドアをコンコンたたくと中からカギを開ける音がした。

「ウーッス!」って
私は体育会系じゃないんだけど。
でもドアを開けた顔はそんなに暗くはなかった。

「なんで朝から飲んでるのー?」と控えめに聞きながらテーブル代わりのこたつの前に座る。
単刀直入に「何かあったの?」と聞くよりいいよね。
「なんでって、休みだしー」
「焼酎のお茶割りって静岡に来てはじめて知ったけど、結構飲めるねー」と

話しぶりはいつもと変わらない、いやむしろ酔ってるぶん明るい。
やっぱり悩みなんて簡単に人に話せるものじゃないよねと思い、深く聞かないことにした。

「これ最近買ったやつ」と彼が差し出したのは『世界遺産・屋久島』のDVD。
「私はテレビでやってたときの録画したよ」
「こんなのもあるよ」と有名なカメラマンが撮った屋久島の写真集も出してきた。

酔いつぶれた姿を想像していたけど、何だか元気だ。
「ねえ、休みだからっていつも朝から飲んでるわけじゃないよね」と聞くと
「いや、やることない時はけっこう飲んでる」って。
なんだ、ただの酒好きのおじさんか!

私は気持ちをリセットして再びかりんへ向かったのだった。
元気出せよ、わたし!


                         <つづく>  

Posted by ながた岬 at 00:06Comments(2)TrackBack(0)心は何処に有るか

2007年07月04日

近況報告

平成19年2月1日、私の思いがいっぱい詰まった「つどいの家 かりん」がスタート。
5ヶ月が過ぎ、7月で6ヶ月目に入った。

穏やかで笑いあふれる日々ではあるが、想像もしていなかった問題も出てくる。
利用者が少ない時は毎日ブログを更新する余裕があった。
何しろ利用者より職員の数の方が多いのだから。
3ヶ月たって気がついた。余裕なんかないよ、赤字経営、存続の危機だ!
知名度がないんだから営業にまわらなきゃ!

きのうまで一人で歩いていたおばあさんが、朝迎えに行くと足をひきずっている。
足が痛くて歩けないと言うが、家族が病院に付き添えるのは2日後である。
日中一人でいるよりデイサービスに行ってくれたほうが安心とのこと、
私はすぐにお姫様だっこをし、車の後部座席に座ってもらった。
おとうさん、ありがとう。練習を積んだおかげでこれは自信がある。
しかし、帰宅後付き添って受診すると骨折しており、そのまま入院となった。

毎日来てくれていた彼女がいないと、デイはとても寂しい。
併せて保険収入もかなりマイナスとなる。
そうか、安定経営って難しいんだねー。

今日まで、どう経営努力をするかを寝ずに(気持ちの上ではだけど・・・)考えた。
利用者も少しづつ増えてきたけれど、人件費を増やさずに私が動こう!

ある一日。
朝、送迎車にて2往復。朝の会にて体操を指揮、その後短パンになり入浴介助。
終わるとすぐに車椅子の方の散歩介助、昼食。午後のレクリェーションを主導し、
おやつ準備、送迎、記録つけ。
気を張ってやっていたら、家に帰ってエネルギーが何も残っていなかった。

でももう少しの間、頑張ろう。
損益分岐点なんて言葉も知らなかったけど、利用者と家族の満足だけを考えて
いた職員の時とは、違う責任が加わった事を今自覚している。(遅いわ!)
課題は安定経営存続

それから、7月2日号と9日号のタウンワーク静岡西部版に求人広告を出した。
じじばばが嫁にしたくなるような、働き者で性格のいい人募集中!
サチー、ヒロミー、ヒサミちゃーん、トシコちゃーん、エミー、ルイー
(誰でもいいから来る気にならないかと呼んでみた・・・末期症状か?)

ブログ読者の皆さん、アイスでも持って陣中見舞いに来て下さい。  

Posted by ながた岬 at 02:01Comments(3)TrackBack(0)ながた岬