家族介護 22 (いい夜だったね・後編)

ながた岬

2007年08月03日 00:54

<つづき>

入院が長引くにつれて、義母は気弱になってきた。
「もう、うちに帰れないかもしれないね・・・」と言い、
抗癌剤治療の後は微熱と吐き気で体力を消耗し、
「いつまでこうして生きてなきゃならんかねぇ・・・」と辛そうであった。

「舘山寺のホテルにでも泊まって、妹たちと昔の懐かしい話がしたいわ」
「母が作ってくれた、おナスの入ったおソーメンが食べたいわ」
といつも言っていた。
一人病室のベッドで思い出すのは、両親の愛情をいっぱいに感じて育った
遠い昔のことだったのだ。

「一日だけでいいから、うちに帰りたい」というのが義母の願いであった。
本人なりに整理しておきたいことがあったのだろう。
しかし何ヶ月たっても医師の許可は出ない。

諦めていたころ突然「一泊だけならいいですよ」と言われた。
「明日一泊し、あさっての夕方には戻って来て下さい」と待望の外泊許可だ。
今は熱もなく、落ち着いているとのこと。

「ハナミズキの花が咲いたかどうか気になってたの」と義母の声が
弾んでいる。
急な話だったが明日の介護タクシーを予約し、叔父、叔母にも時間があったら
家に来てほしいと連絡をとった。

清水に住む叔母に「明日ここに泊まれない?」と聞いてみたが来れないという。
それなら、と私は懐かしいおソーメンとはどんなものだったかを聞いた。
叔母は特に珍しいものではなく、物のない時代だったから母親が量を増やすため
野菜をたくさん入れて作ったニュウメンのことだと教えてくれた。

病院では久しぶりの外出に配慮し、お風呂に入れてくれたが
義母は少し疲れた様子である。
「車椅子に座っているだけで、しんどい」
「やっぱり明日は行けそうにない」と言う。

もう、座っている体力もないのか・・・。
なんとかできないかと考える。
リクライニングの車椅子をレンタルしたくても入院中は、介護保険が使えない。
社協でも車椅子を貸してくれるけど今からじゃあ手続きが間にあわない。

福祉用具事業所のIさんに電話をしてみた。
いつも利用者さんの相談にのってもらっているが、今日は自分のことだ。
自費で貸してもらえないかと相談する。
「この仕事は儲けばかりではなく社会貢献の意味もありますから、困っている時は
使ってください。特別扱いではなく誰にでもそうしますから」と無料で貸してくれる
との事。

なんて親切な!
考えてみると、私は困ったときいつも誰かに助けられている。
そして私はありがたいと思う度に、自分も誰かの役に立って恩を返していこうと
思うのである。

翌朝、義母は借りてきたリクライニングの車椅子に座り「あぁ、これは楽だ・・・」と
ほとんど横になった状態でゆっくりと自宅に帰ることができた。


玄関前のハナミズキは薄いピンク色の花をつけている。
その清潔そうな姿をみて「あぁよかった。去年咲かなかったから・・・」
と安どした顔は、この日一番の笑顔だ。

義母は車椅子に横になって、居間にいた。
自分の弟達、子ども達、孫達の声を聞きながら「やっぱり、うちはいいわねぇ・・・」
とずっと笑みを浮かべている。

昼食にニュウメンを作ったが食欲がなく、短く切ったおソーメンを二口くらい
口に入れてあげただけで終わってしまった。

夕食もイチゴしか食べない。
「お水飲ませて・・・」
自分でコップを持つ力はもうない。

夜、義母のベッドに並んで布団を敷く。
初めて二人で寝るのだけれど、介護役として家族中の期待を背負った私には
呼んでも起きなかったなんてことは許されない。
でも義母のか細い声では、とうてい起きられないなと自覚して対策をたてた。

月並みだけど、自分の手首にヒモを巻いてその先を義母の手元のベッド柵に結ぶ。
義母がヒモをひっぱると、私の手が動いて目が覚める予定である。

はたして・・・

私は夜中に手をひっぱられて、何度か目覚めた。
義母は私の名を呼び、
「ごめんね、よく寝ていたから起こすのは可哀想だと思ったんだけど・・・」
と水を飲ませてほしいという。

ミネラルウォーターをらくのみに入れて口に含ませると、ゴクンと飲み込む。
「あぁー、おいしぃー」
まるで美酒でも含んだかのように、一口飲む度に
「あぁー、おいしぃー」とささやくのだ。

私は、こんなにおいしそうに水を飲む人を始めて見た。そして感動した。

必要なものを、必要なだけ頂けることの幸せを体現した義母の姿は
高貴な輝きをもって、私の脳裏にしっかりと刻まれた。

ありがとう。
いい夜だったね、お義母さん。

                 <つづく>

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